2017年5月28日日曜日

艦これ 陸奥 むっちゃんが可愛い



艦これキャラクターの中でナンバー1美人かつ、ナンバー1可愛いキャラクターとして人々(主に私)から愛されているキャラクターです。

陸奥記念館という陸奥関連の展示品が置いてあるところがあるんですが、ここに行ってからすっかりファンです。
陸奥記念館にはこんな砲台もあり、近くでじっくり見ることができます。
場所は山口県周防大島町で、アクセスはかなり悪いですが、、

名前の由来は、青森県などを含む旧国名からですね。
青森とは反対の本州の端である山口県の旧名「長門」は戦艦 長門の由来になっています。


進水は1920年5月31日に横須賀海軍工廠にて。

一般国民の知名度・人気は長門よりも陸奥の方が上だったみたいです。
これは陸奥の進水式に皇后陛下がご臨席されたことが教科書に載ったためですね。

呉海軍工廠生まれの長門に対して、横須賀海軍工廠生まれの陸奥の方が東京に近かったこともあり、来賓数に恵まれたということです。
その数なんど十数万人ということ!

さて、陸奥といえば謎の爆発事故で沈没してしまったということをご存知の方は多いはず。
1943年6月8日に呉に近い柱島泊地での出来事です。
主砲三番砲塔付近から突然大爆発を起こし、沈没してしまった事故ですが、

スパイによるもの、乗員同士のいざこざからの放火、弾薬の自然発火、いろいろ説はありますね・・・
また、駆逐艦 潮が誤投下した爆雷によることも疑われたようですが、これは調査により否定された説になっています。
この事件があって、艦これでの陸奥の自己紹介は、こんな感じになっています。

長門型戦艦の2番艦として生まれた陸奥よ。
もちろん、世界のビッグ7の一艦になるわね。
え?主砲火薬庫爆発事故?
まあ、隠してもしょうがないわね。今度は大丈夫よ!


国民に親しまれ、期待された陸奥が戦わずに事故で沈没したなんてことは、公表できるはずがなく、陸奥沈没の件は隠されていました。
死亡した乗員の家族には生存を装って給料送金を続けるなどの、処置がされていたようです。

ちなみに、沈没した船体を引き揚げて修復した後に、再度戦力に加えるという計画もありましたが、破損が大きく、これは叶わなかったようです。

ただ、戦後にはちゃんと引き揚げられています。
大体、船体の7割ほどが回収されていて、陸奥記念館やその他、全国各地で主砲や副砲、スクリューが展示されています。
広島県の大和ミュージアムの外に主砲が展示されているのは確認しましたよ!

また、陸奥から回収された鋼材は戦前に生産されたため、放射性物質の混入が少なく、ずっと海底にあったことから、核実験の影響も小さかったので、現在では放射線測定用のシールド材として利用されています。
この材料は「陸奥鉄」と呼ばれているとか。

すごいぞ、むっちゃん!